断れることは人生をコントロールすること?

前職では技術者志望で入社しましたが、実際には営業職に配属されました。自分でも明らかに苦手分野だと思っていましたが、「やってみないことにはできるかどうかも分からない」と考え、とりあえず断らずに営業を始めました。そして気づけば、今もずるずると営業を続けています。

というより、技術力がないため営業しかできない、というのが正直なところです。とはいえ、私の場合は営業と呼ぶほどのものではなく、ただの御用聞きに過ぎません。

いまだにプレゼンや商品説明を理路整然と話すことができません。質疑応答もうまく対応できず、気づけば循環論法のような話し方になり、中身のない説明になってしまいます。さらに滑舌も悪く、声も裏返ることが多いため、筆舌に尽くしがたい聞きづらい話し方をしてしまいます。

前職で毎年新入社員を見てきましたが、「営業はやりたくない」と断われる人が何人もいました。そういう姿を見て、「自分の意思を持って断れるのは羨ましい」と感じたものです。しっかりコミュニケーションを取り、自分の人生をコントロールできるからこそ断れるのだと思います。そして、相手もすぐに判断でき、次の行動に移せるので、断ること自体がむしろ親切なのかもしれないとさえ思いました。

一方で私は気が弱く、断れない性格です。できなくてもとりあえず挑戦し、最終的な判断を相手に委ねてしまう。その結果、人に言われるままに動き、広く浅く経験はしてきましたが、専門性と呼べるものは何ひとつ身についていません。

本来であれば、生産手段となる専門性を身につけ、最悪は独立できるように備えることが理想です。しかし、正直に言えば私は仕事が苦手であり、サラリーマンという立場が一番守られていて楽だと感じています。だからこそ、これからもサラリーマンとして何とかしがみついていこうと思っています。

若さという資産は、今もこうしている間にも少しずつ目減りしていきます。だからこそ、サラリーマンとしてしがみつけるだけの強みを何とか身につけたいものです。