論理的とは「国によって違う」と知って、わからなくなりました。
「論理的に説明して」と言われて、すぐ答えられますか?
私はパッと説明できませんでした。
AIに聞いてみると、
「物事を筋道立てて整理し、理由や根拠に基づいて結論を導き出す状態を指します」
とのこと。
なるほど、と思いつつも気になって調べてみると、どうやら「論理的」という言葉の意味は、国によって違うようなのです。
アメリカの論理:結論を積み上げて正しさを証明する
アメリカでは、論文や議論の構成はとてもシンプル。
まず「結論」を提示し、その結論を裏付けるために根拠や事例を積み上げていきます。
まるで、「ほら、正しいでしょ?」と説得していくようなスタイルです。
これは英語圏の文化に根づく、“結果重視”の思考法でもあります。
フランスの論理:反対意見を踏まえて結論を導く
一方、フランスでは少し違います。
主張と反対意見を比較し、両方の根拠を踏まえたうえで新しい結論を導くという、弁証法的な構成が一般的です。
「どちらが正しいか」ではなく、
「両者を考慮したうえで、より深い真理に近づくには?」という発想。
アメリカが「結論を証明する文化」だとすれば、
フランスは「結論を再構築する文化」と言えるかもしれません。
文化によって、“論理的”は変わる
ここまで知ったとき、私はふと思いました。
「じゃあ、“論理的である”ということ自体が文化に依存しているのでは?」
そう考えると、普段私たちが「論理的に」と言っていることも、実はその国の常識や多数派の感覚に合わせているだけかもしれません。
つまり、「誰が言ったか」「どの意見に賛同が集まったか」という、
ある意味“感覚的な多数決”によって論理が決まっている可能性すらある――そう感じました。
私は“論理的”より“納得感”を選ぶ
それ以来、私は「論理的思考」よりも、その時々の自分や相手の“心の納得感”を重視するようになりました。
論理で人を動かすより、
「なんとなく納得できる」ほうが、人はずっと前向きに動ける気がします。
人間関係も仕事も、論理だけで進めるより、お互いの気持ちを尊重したほうが幸福度は高い――今はそう感じています。
ちなみに、チャッピーに「論理的思考とは?」と聞いたところ、
こんな答えが返ってきました。
「前提や条件を明確にし、事実と推論を区別しながら、筋道を立てて結論までの道を説明できる思考。」
・論理的思考は国によって形が違う
・アメリカは「結論から説得」型
・フランスは「賛否を比較」型
・“論理的”という言葉自体が文化の影響を受けている
・論理よりも心の納得感を重視する生き方もある
私にとっての“論理的”は、
自分と他人が気持ちよく納得できるように考えること。
あなたにとっての「論理的」とは、どんな状態ですか?